モッズとは何だったのか
1960年代ロンドン──細身のスーツ、スクーター、パーカ、The Who。音楽とファッションの革命を読む。
Ⅰ|モッズは「都市の若者」が生んだ文化だった
1960年代初頭、ロンドンは大きく変わろうとしていた。
戦後の復興が進み、若者たちはそれ以前の世代よりも多くの可処分所得と自由な時間を持つようになった。
音楽を聴く。
服を買う。
クラブへ行く。
街を移動する。
若者自身が、自分たちの生活様式を選び始めた時代だった。
その変化のなかから現れたのが、モッズである。
Modsという呼び名は、一般にModernistsに由来するとされる。
もともとはモダン・ジャズを好む若者たちを指した言葉だったが、やがてソウル、R&B、スクーター、シャープな服装を愛する都市型の若者文化へと広がっていった。
モッズが求めたのは、単なる反抗ではない。
彼らが欲したのは、自分たちの時代にふさわしい洗練だった。
親世代と同じ服を着るのではなく、
自分たちの音楽を聴き、
自分たちの街を移動し、
自分たちの美意識を身に纏う。
モッズとは、若者が「自分の時代」を服によって宣言し始めた文化だった。
Ⅱ|細身のスーツ──“速度”を纏う服
モッズを象徴する服のひとつが、細身のスーツである。
肩は小さく、ジャケットは短め。
ウエストは絞られ、パンツは細い。
そのシルエットには、それまでの英国紳士服とは異なる軽快さがあった。
ロンドンの若者たちは、伝統的な英国のテーラリングだけでなく、イタリアをはじめとするヨーロッパ大陸のシャープな服装にも強く惹かれていた。
重要なのは、スーツそのものよりも着方だった。
モッズにとってスーツは、格式を示すための服ではない。
街を歩き、
クラブで踊り、
スクーターに乗る。
その身体の動きに寄り添う服だった。
細身のスーツは、都市の若者の身体を軽く見せた。
それはまるで、速度そのものを纏う服だった。
Ⅲ|スクーター──移動手段が文化の記号になる
モッズ文化を語るうえで、VespaやLambrettaといったイタリア製スクーターは欠かせない。
スクーターは、単なる移動手段ではなかった。
クラブへ行く。
友人に会う。
街を横断する。
都市の中を自由に移動するための道具であり、同時に自分たちのスタイルを示す記号でもあった。
ミラーやライトを多数取り付けたスクーターは、次第にモッズを象徴する視覚的アイコンになっていく。
ここで興味深いのは、乗り物までもがファッションの一部になったことだ。
服、音楽、移動手段。
それらは別々のものではなく、ひとつのライフスタイルとして結びついていた。
モッズは、移動手段そのものを文化の記号に変えた代表的な若者文化だった。
Ⅳ|パーカ──機能がスタイルに変わる瞬間
モッズの象徴的なイメージのひとつに、細身のスーツの上から軍用パーカを羽織る姿がある。
なぜ、仕立ての良いスーツの上に軍用コートを着たのか。
理由はきわめて実用的だった。
スクーターに乗れば、雨や泥、排気ガスで服が汚れる。
そこでスーツを守るために、軍用パーカが使われた。
つまり最初は、機能のための服だった。
だが、その実用性がやがてひとつのスタイルとして定着する。
洗練されたスーツと、無骨な軍用パーカ。
その対比こそが、モッズ独特の美学になった。
これはメンズファッションにおいて重要な転換である。
機能のために選ばれたものが、やがて美意識になる。
後のストリートファッションやミリタリーファッションにも通じる発想が、そこにはすでに存在していた。
Ⅴ|The Who──音楽とファッションが結びつく
モッズ文化と強く結びついたバンドのひとつが、The Whoである。
彼らは単にモッズに支持されたバンドではなかった。
シャープな服装、強烈なステージアクション、グラフィック表現。
そのすべてが、モッズ文化の視覚的イメージと重なっていった。
とりわけRAFラウンデル──英国空軍の円形標識を思わせるグラフィックは、後にモッズを象徴する記号として広く認識されるようになった。
音楽が服を動かし、
服が音楽のイメージを作る。
モッズ文化では、その二つが切り離せないほど強く結びついていた。
Ⅵ|夜のロンドン──クラブがスタイルを育てた
モッズは、都市の夜と深く結びついた文化でもあった。
クラブでは、ジャズ、ソウル、R&Bが鳴っていた。
若者たちは踊り、
互いの服を見る。
新しい音楽を知る。
新しい着こなしを試す。
夜の街は、単なる娯楽の場所ではなかった。
それは、若者たちが自分たちの美意識を試す実験場だった。
昼間の英国社会には、まだ多くの階級意識や服装規範が残っていた。
しかし夜のクラブでは、その秩序が少しだけ緩む。
そこで若者たちは、自分たちだけのルールを作ることができた。
細身のスーツも、スクーターも、音楽も。
モッズのスタイルは、都市の夜のなかで磨かれていった。
Ⅶ|モッズとロッカーズ──若者文化が社会問題になった日
1964年、ブライトンをはじめとする英国の海辺の街で、モッズとロッカーズの衝突が大きく報じられた。
新聞は若者たちの対立をセンセーショナルに伝え、社会はそれを「若者の逸脱」の象徴として受け止めた。
モッズは細身のスーツとスクーター。
ロッカーズはレザージャケットと大型バイク。
その違いは見た目にも鮮明だった。
しかし、二つの文化の衝突は単なる服装の違いだけではない。
どんな音楽を聴くのか。
どんな乗り物に乗るのか。
どんな服を着るのか。
それは、若者が「自分は何者か」を文化によって選び始めた時代の象徴だった。
ここで若者文化は、単なる流行ではなく、社会現象として認識されるようになった。
Ⅷ|モッズが残したもの──都市型若者文化の原型
モッズの最盛期そのものは長くは続かなかった。
1960年代後半になると、音楽もファッションもサイケデリックやヒッピー文化へと変化していく。
しかし、モッズが残した構造は消えなかった。
音楽によって服が変わる。
服によって仲間が分かる。
街、クラブ、乗り物、音楽、ファッションがひとつの文化になる。
この構造は、その後のパンク、ニューウェーブ、ブリットポップなど、英国のさまざまな若者文化に繰り返し現れる。
モッズそのものの影響をすべての後続文化へ一直線につなぐことはできない。
それでも、都市の若者が自らスタイルを作り、そのスタイルによって時代を語るというモデルを考えるうえで、モッズは極めて重要な存在だった。
結び──モッズは「都市の速度」を纏った文化だった
モッズを読むことは、1960年代ロンドンを読むことである。
細身のスーツ。
スクーター。
軍用パーカ。
クラブ。
ソウルとR&B。
The Who。
それらは一見、別々のものに見える。
しかしモッズの世界では、すべてがひとつにつながっていた。
共通していたのは、都市の速度だった。
速く移動する。
新しい音楽を聴く。
新しい服を着る。
新しい美意識を、誰よりも早く自分のものにする。
モッズは、単なる1960年代の流行ではない。
それは、若者が都市のなかで自らの文化を作り始めた瞬間のひとつだった。
服を通して時代を語り、
音楽を通して仲間を見つけ、
移動そのものをスタイルに変える。
その感覚は、60年以上を経た今も、メンズファッションの中に残っている。
THE MEN’S ARCHIVE は、その文化の軌跡を記録し続ける。
